『20万年前に現れたホモ・サピエンス(ヒト)は、アフリカから中東へ移動、そこでネアンデルタール人に出会い、交配して遺伝子が混ざり合い大きく進化した。しかし、ハンターだった猫背で屈強なネアンデルタール人は、その後絶滅した。生き残ったのは、きゃしゃな体のヒトだった。その理由は知性が進化したからた。』このように、ネアンデルタール人とヒトとの関係について最近解ったというので、昨年、NHKスペシャル「人類誕生」で放映されました。
しかし、現在判明している事実から整理するとおかしいのです。理論的にヒトはヒト以外の生物(サル、類人猿)との間で子どもが生まれることはありません。DNAの長さが違うからです。ですから、ヒトとネアンデルタール人との間で子どもが生まれたのなら、ネアンデルタール人は完全にヒトです。進化もあったはずがありません。なぜなら、世界のどの民族間でも子どもが生まれますが、生まれた子どもは全てヒトであって、ヒト以外の生物に進化したことは一切ないからです。
一方で、ネアンデルタール人とヒトとの関係について創造論で最近解ったことを紹介します。証明はできませんが、聖書からこう理解できるということです。白人と黒人の間に生まれた子どもは白と黒の遺伝子を半分ずつ持っています(専門用語でムラ―トという)。そしてムラート同士の間には白から黒まであらゆる皮膚の色の子が生まれることはよく知られています。
さて、アダムとエバがムラートであったなら、次の世代であらゆる皮膚の色をした子どもたちが生まれたはずです。そして、バベルの人たちは言語を乱されて荒野に散らされた時、彼らの中にあらゆる皮膚の色の人がいたでしょう。日照の多いアフリカに移住したグループで白い人は皮膚がんなどで数を減らし、日照の少ないヨーロッパに移住したグループで黒い人はビタミンD不足のくる病(猫背)などで数を減らしました。ついにはアフリカでは黒い皮膚の人、ヨーロッパでは白い皮膚の人ばかりになりました。これは遺伝子が減少したので退化です。ネアンデルタール人の骨はくる病の症状が見られます。黒い皮膚の人だったのでしょう。バベルから出た人たちはしばらくの間、洞穴に住み、石器を作って生活しました。(石器時代)
キリストはアダムの家系に生まれられました。あなたは100%アダムの子孫ですか?そうでなければ、キリストの福音の対象から外れてしまいます。
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(第1コリント15:22)
(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第18章をご参照ください)
画像はムラートの両親から生まれた双子 Creation Ministries International 提供 creation.com
最近、テレビや雑誌で盛んに地球外生命の特集が組まれています。世界中の宇宙観測機関がこぞって探索を進めているからです。惑星探査機を用いて至近距離で火星や、木星の衛星、小惑星「リュウグウ」に液体の水があるか探しています。液体の水が生命の必須条件と考えているからです。しかし、なぜ地球外生命を探すのでしょうか?以下の仮説がその背景にあります。
① 地球上の最初の生命(バクテリアのようなもので、すべての生物の祖先)の発生メカニズムが不明。宇宙にあったものが地球に飛来したのではないか。
② 地球で生命が進化して人間になったのだから、広大な宇宙には同じように進化した宇宙人が多数いるはずだ。
しかし、おかしいと思いませんか?私たちは、豊富な液体の水、適切な空気、適切な光、穏やかな気候など非常に多くの生命に必要な要素が絶妙なバランスで整えられた類い稀な生命の惑星、地球に生かされています。最初の生命が発生したメカニズムが不明だというので、なぜこれほどまで生命を育む環境が整った地球でなく、わざわざ地球外の星でありそうにない液体の水を探すのでしょうか?生命を育む環境とは、「水さえあれば」ということではないはずです。
一方、複数の宇宙観測所が膨大な数の銀河が宇宙に分布するマップを描いていますが私たちが(私たちのいる天の川銀河が)宇宙の中心にあり、他の銀河が幾重にも取り巻いているように見えています。偶然でそうなる確率は限りなくゼロです。そういうことなら、宇宙の背後に意思があって、私たちも地球もその意志の産物であることを示唆しています。聖書は、地球が星々よりも先に(創世記1章)、特別な目的で造られたと教えています。
天を創造した方、すなわち神(創造主)、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立て た方、これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかに形造った方、 (イザヤ45:18)
詳細は、DVD「驚くべき惑星・地球」、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第9章をご参照ください。
【上記画像】2dfGRSS提供;一点が一つの銀河の位置、赤い色は銀河の密度が濃い所を表している。
恐竜がいたのは2億5千万年前から6500万年前までで、人類が現れるはるか以前に絶滅したと言われています。恐竜は、何十億年という進化の歴史を物語っていると、今日の多くの人たちが疑いもなく信じているようです。しかし、もっともらしく紹介されていても、実際は謎だらけなのです。
一方で、恐竜が人間と同時に生きていたという証拠は多くあります。その一つを紹介しましょう。1841年にイギリスでリチャード・オーエン卿が巨大な化石を発見したことで初めて過去に恐竜がいたことがわかったとされました。しかし英国北部のカーライル大聖堂の床に1496年に造られたリチャード・ベル司教の墓がありますが、真鍮細工が施され、多くの動物と並べて恐竜が彫られています。それは化石から復元したシュノサウルスにそっくりです。これは当時の人たちが生きた恐竜を見ていたということでしょう。(写真:CMI Creation誌 Vol..36, 2014) 聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の記述を字義通りに受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)
「神(創造主)は仰せられた。・・・家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。・・・地のすべてのはうものを造られた。・・・さあ人を造ろう。・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。・・・夕があり、朝があった。第六日。」(創世記1:24~31)
(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章をご参照ください)
(1)「創造論は聖書を科学で証明しようとしているのですか?」、(2)「創造論と進化論は、どっちが科学かで論争しているのですか?」と質問されることがよくあります。答えはいずれも「いいえ」ですが、いつも理由を簡潔に説明することが難しいのです。今月はそれに挑戦して書いてみますが・・・。
まず、宇宙や生命の起源について、遠い過去に何があったかは再現実験できないので、科学で証明することは不可能です。これが(1)の答えの理由です。ですから、起源を扱う進化論も創造論も、何かを前提に解釈するしかありません。近年、進化論学者の意見と創造論学者の応酬がありました。
「あたかも知性によってデザインされたように見える生命が、いかにして偶然にできたのか、そのシナリオを追求するのが(進化論)生物学である。」(リチャード・ドーキンス博士)
「あたかも生命が知性によってデザインされたように見えるのは、実際に知性によってデザインされたからであるという可能性を無視してはならない。」(フィリップ・ジョンソン博士)
ここで、ドーキンス博士のことばに注目すると、初めに結論ありきであることがわかります。「デザイナーが存在しない、偶然にできた」という不確かなことを前提としているのです。ですから、ジョンソン博士はその逆の前提があり得ることを指摘しました。もう明らかですね。進化論と創造論は、それぞれ互いに相反する‘創造主が存在しない’、‘存在する’を前提とした世界感であり信仰です。そして、科学とは自然界のしくみや法則を知るための手法(ツール)であると言えます。これが(2)の答えの理由です。
すなわち、進化論も創造論も世界感ですが、必ずどちらかが真理です。だれもがそのどちらかを信仰で選び取っています。しかし、聖書は次のように言います。
なぜなら、神(創造主)について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:19、20)
地球の年齢が若いことを示す事例を紹介すると、よく、「化石など生命体であったものの年代を直接測る放射性炭素年代測定法などが何億年という年代を‘証明’しているのではないのですか?」と質問されることがあります。詳しい説明は省略しますが、放射性炭素年代測定法で測れるのは5万年までです。ざっくり言って、それ以上古いものは放射性炭素が検出できないからです。ところが、3千万年~3億年前にできたといわれているあらゆる石炭を測定すると全て放射性炭素が検出できています。さらに、化石や生物であった炭素、すなわちグラファイト、石灰岩、方解石、大理石など、専門家が30年以上かけて地球全域を探しましたが、放射性炭素が検出できなかったものは一つもありませんでした。すなわち5万年より古いものは存在していないということです。
では、何千万年、何億年前の化石とはいったいどういうことでしょうか?進化論で5万年より古いと考えられた化石は放射性炭素測定法で測ることをせず、化石と同じ地層の火山岩を採取して放射性年代測定します。放射性元素の濃度の比率を測定し、進化論の憶測に基づいて年代が出されます。放射性元素は図の砂時計のように時間とともに親元素(砂時計の上の瓶)から娘元素(下の瓶)に自動的に変化します。ですから、娘元素が親元素に比べて多ければ古いとされるのです。しかし、それは年代を示してはいません。だれもその鉱物ができた時の親元素と娘元素の比率を知らないからです。一般的に親元素が100%で娘元素が0%であったと憶測して計算されているのです。実際、ハワイ・ファラライ火山の1803年の噴火でできた火山岩を測定すると約200年と出るはずなのに、1億6千万年から33億年という結果が出されました。また、同じ資料を複数の異なる放射性年代測定法で測定するとバラバラの年代を示すのです。放射性年代測定法は全く信頼できるものではありません。‘地球は古いはずである’という進化論の前提で計算法が組み入れられた測定システムなのです。詳細はドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第4章を参照ください。
<目に見えない小さなバクテリア、外部の栄養を借用して生きている極めて単純な単細胞生物と考えられていました。しかし、今世紀に入って、高度な電子顕微鏡でバクテリア内部の構造が見えるようになったことでその理解が一変しました。たとえば大腸菌の細胞内に鞭毛(べんもう)を回しているモーターが見つかったのです。その構造はステーター(固定子)とローター(回転子)が細胞膜の内側に固定され、鞭毛はベアリングで保持されています。まるで電気自動車かモーターボートそっくりですが、各部品は原子、分子でできています。このモーターがどのように進化してできたのか説明不能と考えられています。偶然の進化で徐々にできたはずがないのです。モーターは完成するまでは機能せず、生き残れたはずがないからです。言い換えれば、生命は完成品で始まらなければ存在し得ないことが分かります。分子モーターは私たちの身体の細胞内にも多く存在しています。細胞内のエネルギー源であるATP分子を造り出しているのはATP合成酵素と呼ばれる分子モーターです。そして、その分子モーターを作るのにも分子モーターが必要なのです(卵が先か、鶏が先か?)。このことでも進化論が破綻しています。実際、生命について何か発見があるたびに、気が遠くなるほど複雑で精巧な仕組みが明らかになっています。 「なぜなら、 神(創造主)について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ:19、20)
子ども:「お父さん、人はどこから来て、どこへ行くの?」
お父さん:「それは・・・サルから進化して・・・サルの前は・・・ウーン」
お母さん:「産婦人科病院から来てお墓に行くの! さあ、早く学校に行きなさい」
子ども:「はーい」
お父さん:「そ、それでいいのか?」
四コママンガにあった朝の小学生とお父さんお母さんの会話です。笑えるような笑えない話ですね。果たして人間はサルから、その前はバクテリアから来たのでしょうか? 人生とは産婦人科から来てお墓に行くことなのでしょうか? 私たちがどこから来たのかわからなければ、どこへ行くのかもわかりません。
私たちの身体は、細胞内のDNA分子の指示によって組み立てられ、管理されています。DNAには30億もの文字で遺伝の暗号文が綴られていて、あなたという人間になるか、みかんの木になるかを決めています。そして、一字でも違えば病気や障害が起こります。では、そのような精巧な暗号文(ことば)はどこから来たのか。進化論が言う‘偶然’では説明できません。偶然によっては、インクや紙など目に見える物質自体が上記会話の単純な文(ことば)でさえ綴り出すことはないからです(歴史を通して観測されたことがない)。絶対にだれかが書き込んだはずですね。そういうことなら、私たちのDNAに30億もの文字で書かれた気が遠くなるほど精巧なことばは、とてつもない知性を持った作者によるはずです。(詳細は、カール・ウィーランド著「創造の確かな証拠」をご参照ください)
私たちはどこから来たのか? 聖書にはこう書かれています。
「信仰によって、私たちは、この世界が神(創造主)のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」 (ヘブル人への手紙11:3)
「初めに、ことばがあった。ことばは神(創造主)とともにあった。ことばは神(創造主)であった。すべてのものはこの方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 (ヨハネの福音書1:1~3)
1920年代に、天文学者エドウィン・ハッブルはウィルソン天文台の望遠鏡を通して重大な発見をしました。ガスの雲と考えられていた不明瞭な光の断片、その一つ一つが銀河であることを発見したのです。彼は宇宙の規模を明らかにしました。(今では全宇宙に2兆もの銀河があると言われています。)さらに、ハッブルは私たちから見て、どの方向にある銀河も一様に私たちから遠ざかる運動をしていることを発見しました。それは素直に解釈すれば、膨大であっても限りある大きさの宇宙全体が膨張していて、私たち(の天の川銀河)がその中心にいるということです。
しかし、ハッブルはそのように考えませんでした。彼の著書「宇宙の真相」にはこう書かれています。「そのような状態は、私たちが宇宙の特別な位置にいることを意味する、・・・しかし、特別な位置という想定は何としても避けなければならない、・・・絶対に受け入れられない。なぜなら、宇宙はどこも均一であると仮定しているのだから・・・。」 (ニュートン別冊 宇宙論第2版 参照)
ここで、1千億もの銀河の中で私たちの天の川銀河が宇宙の中心にある確率は2兆分の1です。偶然にはそうなりえないでしょう。どうしてもそこに意志とデザインがあるはずだからです。
ですから、ハッブルはこう続けました。「そのおぞましい特別な場所をなくすためには、空間の曲がりを加えて補正しなければならない。」 こうしてできたのがビッグバン理論です。「宇宙空間が重力で球の表面のように曲がっていて、そこに全銀河がはりついているとしよう。ビッグバンによってその球が膨らんでいるなら、宇宙のどこにいても他の銀河が自分から遠ざかるように見えるだろう、と。
すなわち、ビッグバン理論とは実験で検証できるタイプの科学ではなく、宇宙の特別な位置を無くすること(無神論)を前提にした推論(モデル理論)であると言えます。ですから、聖書に書かれた世界創造をビッグバンに結び付けるべきではありません。最近、SDSSなど複数の観測機関が宇宙のマップを描いていますが、どれも、銀河が集まって、私たちがいる天の川銀河を何重にも取り巻いている様を見せています。今また、私たちが宇宙の中心にいるように見えているのです。
(詳細は、ジョン・ハートネット著 光年の謎と新宇宙論 第5章を参照ください)
Picture: by Dr. John Hartnett
天地創造の六日間が普通の日(地球1回転)であるという理解は今日のキリスト教界で極めて少数派です。このことには進化論に合わせようとして、何十億年という年代を聖書に当てはめようとした神学解釈(有神進化論)が背景にあります。地球の年齢が(何十億年と)古ければ、徐々に堆積した厚い地層とそこに埋蔵された化石が進化の歴史を示していると主張する進化論と調和し、福音とも矛盾しない穏健な解釈と考えられたのです。 しかし、その解釈をもう一度聖書に戻すと福音に根本的な問題が現れます。すべてのものが死滅する世界で、より強いものが子孫を残して徐々に変化(進化)し、アダムに至ったのならどういうことになるでしょうか? すなわち、主の創造の中に大量の死、病気、闘争、苦しみ、災害があったことになり、次の聖書箇所と矛盾します。
「神(創造主)はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(創世記1:31)
さらに、アダムが罪を犯す前に死が存在したことになり(上の絵)、次の聖書箇所と矛盾します。
「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわちアダムあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15:21、22)
進化、あるいは有神進化の解釈に立って、果たして自分自身が完全にアダムの子孫であると信じることができるでしょうか? しかし聖書は、アダムの罪で堕落して死ぬ世界になったので救いが必要になったのであり、キリストの贖いの対象はアダムの子孫であることを告げています。それゆえ、キリストは創造主であられるのに、あえてアダムの血族に生まれられ、救い主として、私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、そして復活されました。(系図:創世記4、5、10、11章、マタイ1章)
(詳細はドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第2、3、5章、カール・ウィーランド著「創造の確かな証拠」をご参照下さい。) 絵の版権 Picture Copyright:Creation Ministries International http://creation.com
最近、動物や大自然を扱うテレビ番組が盛んにダーウィンと進化論を紹介しています。特に恐竜については、テレビ、博物館、教科書、雑誌、子どもの絵本でさえ、人間が現れるはるか以前(6500万年前)に巨大隕石が地球に激突して絶滅したという説明を見聞きしてきました。ですから、恐竜とは何億年という進化の歴史を物語っていると信じられています。しかし、現実は謎だらけで、全く検証されていません。
謎1)‘場違い’な場所で見つかる恐竜の化石――①小型恐竜の遺骸が、恐竜絶滅後とされている哺乳類(化石)の胃に見つかった。②恐竜の化石の地層に植物の化石はほとんどなく、土壌の化石は全くない。など。
謎2)調査が進み、恐竜絶滅と隕石衝突の年代は無関係。隕石がもたらしたと主張されたイリジウムの地層は、今ではうやむやにされている。
謎3)化石化していない恐竜の骨(何千万年前ではない)――アメリカでティラノサウルスの骨が見つかり、その骨髄に赤血球が残っていた。
ところで、龍の伝説が多くの文化にあるのを不思議に思いませんか? 干支の龍、欧州の竜退治伝説(日本にも?)、英国の教会やアンコールワットの恐竜の彫り物(上の写真)、世界中の洞窟壁画などは化石から復元した恐竜にそっくりです。聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の歴史を文字通り受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。そして、ほとんどはノアの洪水で死滅したのでしょう。(化石の成因)。
箱船に乗って(約50種、子どもの恐竜なら十分乗れた)生き残ったものから再び世界中に散らばりました。少し遅れて人間がバベルの塔から散らばったことで、世界各地で遭遇したはずです。他の多くの動物と同じように退治され、次第に数を減らして絶滅したのかもしれません。絶滅は進化ではありません。そして、恐竜が恐竜でないものから進化したことを証明する化石はありません。
進化論より聖書(創造論)の方が恐竜の謎をすっきりと説明します。私たちは今日、生物が新たに出現(進化)するのではなく、絶滅ばかりを見ているではありませんか。
(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)